意味のないことこそ頑張る
題名のように考えるようになった理由として、意味のあることを頑張れていないからだ。
私は、現在就活を頑張れていない。
頑張ろうという気持ちはあるのに行動ができない。
これがなぜなのかを考えたところ、就活というものを重く考えていたからではないかと考える。
重く考えることによって、フットワークが重くなって、行動できなかったのではないか。
そこで、考え方を変えてみた。
例えば、スマホゲームもSNSを見ることは無駄な時間とみなされ、貶されることが多い。そして、勉強をすることは、意味のあることで、褒められることだことだと一般にはそうされている。
しかし、
「スマホゲームをすることも、SNSを見ることも、卒業研究の勉強をすることも、就活の練習をすることも、すべて意味のないくだらないものである。」という考えにしてみたらどうだ。
勉強することの価値が低くなったように思われるが、価値が低くなった半面、気軽に取り組めるのではないか。今までは勉強は絶対にしなければならない、人生においてとても重要なことだと考えすぎることによってそれによってたまるストレスのはけ口としてゲームやSNSをしていたのではないか。
大切なことは、「ゲームと勉強に優劣はない」ということだ。
すると面白いことに、この考に基づいて、今からゲームと勉強どちらをするか決めようとしたとき勉強を選ぶのだ。
その理由は、正直、自分の感覚なため、みんなにも当てはまるものではないのだが、ゲームと勉強、このしょうもなく価値も意味もない二つをあえてどちらが戴せるかを選んでみると本能的?に勉強を選んでしまう。
おそらくこの感覚から、勉強が優でゲームが劣という考えに至ってしまうのであろう。
人間はものが二つあったときに本能的に優劣をつけてしまう癖があるから、こうなることは仕方ないのだろう。
ここでもう一度大切なことを言う。
ゲームと勉強に優劣はない